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2010年8月21日公開過去生セミナー参加レポート
2010年7月17日~18日 長野県戸隠セミナー体験感想レポート
2010年8月31日記より

2010年8月21日公開過去生セミナー参加レポート
新潟県在住 40代 女性

 今振り返ってみてまず思うのは、あの空間で体験した多次元空間をこの二次元の文章という形でどれだけ表現できるのかという事です。おそらく全体をフルにお伝えするのは不可能です。
1/10も伝えられるかわかりません。なぜならあの空間で体験したことの深い意味と価値ははかり知れないものがあり、私が今意識の上で自覚できる自分の変化だけでなくもっと深いところでの今後も自動作用のように続くシフトを私にもたらしたと思うからです。公開過去生はそれくらい短時間で私を変えたセミナーだったのです!

あの日私ははからずもセミナーに遅刻してしまい、一人目の方の過去生を参加者が読みこんでいるところでした。途中からの参加で状況がよくわからず私は傍観者だなと思っていました・・。
ところが急にお腹が痛くなり悲しくなってきたのです。
どうやらその方は王位継承を拒んで自分の道を生きる決心をした王子で、王の怒りをかっていました。
私は母親だったのです。私の子宮が“私がお腹を痛めて産んだ子なのになぜ国のために差し出す事をしなければならないの、思う通り生きさせてあげて!!この子は私が、何があっても守る”とがっぷり囲いこんでいます。結果、過保護で息子の自立を疎外していました。
また、この時子宮がしゃべるのを聞いて臓器や組織にそれぞれ違う意識が宿っていると言うことを実感しました。

この事は私の今の人生にピッタリ符合します。
娘は高校生になって私はもう子離れしていたと思っていましたが、ついつい過保護になり娘の自立を疎外していたのです。どうしても手や目が離せないのです。
この過保護は私の母も同じでした。

その後は踏江先生の誘導でからまった感情を読み解いていきました。
あっ、と一瞬にしてわかったのは“私は娘をどう愛してよいのかわからない、私の愛が娘に伝わったかわからない、自信のなさと罪悪感とが混じっていて重い!でも、だから子供から手を離せずにいつまでも見守らずにいられなかった”という事でした。

このセッション後私の胸に残ったメッセージは、
“人はみな自分の知るかぎりの真実をせいいっぱい懸命に生きている、こうあるべき正しい姿などありはしない。私はせいいっぱい生き、間違ってはいなかったのだ。なぜなら私はそうするしかすべを知らなかったからなのだ。そして子供は神様からのあずかりものだ”という事です。
自分にBad Motherのレッテルを貼り自信のなさと罪悪感とともに生きてきた私にとってこれほどの癒しはありません!!溢れる涙でぐちゃぐちゃになりました。ありがとうみんな!!

そうしたらまた子宮がしゃべりはじめました。
“あなた(王)のいっていること(この子は王位を継承し国を守るために生まれた)がやっとわかったわ”と。

よくわかりませんが、罪悪感や自信のなさは子宮に位置する感情なのかも知れません。女性の場合ですが・・。

このセッションの効果には後談があって、翌週の月曜日に職場に行って気付いたのです。
いつも毒舌を吐き、一番痛いところをついて人をいじめる苦手なタイプでいつもなるべく避けていた男性が全然厭じゃない。私をいじめてごらん!ただじゃおかないよ!という気持ちで近付けるのです。
私がセミナーで罪悪感を手放したからにほかならないと確信しました。また彼も非常に怖れているのだとわかりました。

これから私の職場がどう変わるか楽しみです!!
この公開過去生はもう一話ありますが長くなるのでやめにして、セミナーの最後の方で降りたメッセージでしめくくります。


メッセージ
宇宙のなりたちの長さはとてもとても長い
ここに集まったあなた達の人生の長さはほんの一瞬の閃光のようなものだ
その与えられた短い人生をどう生きるのだ?

思いきり思いっきり持てるかぎりの力で自分を信じて悔いのない光輝く人生を生きなさい
後悔や制限は不要なのだ
それがあなた達に与えられた使命なのだ

わかったらよし!

これほどの得難い体験をさせていただき、何より、自分を信じることの大切さを教えて下さった、踏江先生をはじめそこに共にあった皆様に本当に感謝しております。



 先にレポートした公開過去生セミナーの後半部分をレポートします。
後半、参加者が過去生を読み込んだクライアントの方は30代、クリッとした目が愛らしい女性です。彼女を囲んで過去生の読み込みが始まりました。
私がはじめに見たのは、頭半分が真っ赤になって皮がむけたようになっているヨーロッパ人風の美しい女性の死の場面で、水面に顔半分が浮いて身体は海に沈んでいる姿でした。
聞こえたのは“WERCK!”難破船という意味の単語でした。

ほとんどの参加者皆で読んだこの時の情景
貴族や上流階級を乗せた大きな帆船に乗った幸せいっぱいで結婚したばかりの何の不安もない彼女の参加するパーティー会場が一転悲惨な船舶事故の場面になりました。叫び声が響き、恐怖におののき亡くなっていく多くの人達が見えました。ずぶずぶと海に沈む手が見えます。地獄絵図です。彼女にロープがからみつき、髪を引っぱられ必死に柱にしがみついています。皆が死んでいくなか、“なぜ私だけがこんな悲惨な死に方をしなければならないの?傲慢に生きてきたから地獄のような苦しみを味わわなければならないの?何がいけなかったの?”と後悔と無念の気持ちでいっぱいでした。頭がひっぱられ、ずるっと皮がむけた右側は今生でひどい偏頭痛が起きているそうです。

彼女の死の場面を見たあと、踏江先生の誘導で子供時代に目を向けました。2才くらいの女の子が見え、お人形のような金髪で縦ロールの髪型、今の風貌は当時の面影を残しています。いかにもヨーロッパ貴族風の白いお城が見えます。伯爵家でしょうか、父親に溺愛され、一方母親は後妻です。この後妻の姿は非常に痩せていて髪を高く盛り、この子にとても辛くあたるママ母です。“Why do I have to get along and bring up this nasty little kid? Shit!! ”(なんでこんないまいましい小娘といつも一緒にいて育てなきゃならないの、くそっ!)と聞こえました。(英語か~何人だろ?)とても恐くて、私が産んだ子じゃない!と言っています。女中頭か何かから自分の力ではい上がり、今の地位を手に入れたひねくれ者で、小さい義理の娘に嫉妬に近い感情を持っています。
この子は当然、お母さんは大嫌い、だけどお父さんにはとてもいい子を演じ、性格がねじれていきます。

本当のお母さんは?
参加者の一人のお腹が痛くなり、その場面を思い出しました。キッチンでママ母にナイフでお腹を刺されて亡くなったのです。その場面をこの子は目撃してしまいました!
でも、だれにも言えない、2才のこの子にとって、いえ、この魂にとってこれほどの辛い体験があるでしょうか。
ここで一旦チャネリングをストップし、先生がこれからの対応を検討しました。
この、2才の地獄体験、最も大切な母を目の前で殺された、という体験への思いを昇華するワークをするのは狂気と隣り合わせで、参加者も一緒に恐怖に飲み込まれる可能性があり危険、また、彼女にとって時期尚早なのではないか、期が熟したら、という判断と参加者の一人が彼女の魂とコンタクトをとり、今日はそんなつもりでここに参加していない、という意向を確認し、今回は偏頭痛を解放するワークが始まりました。

さあ、もう一度辛い難破船の場面です。ロープが巻き付き、髪が何かにからまり引っぱられて痛い!
踏江先生の誘導で“何でもいいから、木の破片でも、ガラスでも手に取れるものを取って髪の毛を切って!頭が楽になるまで切って!”“シャンデリアの破片がある!”
“あなただけ特別に辛かったわけじゃない、あなたも辛かった、けどここにいる全員が辛かった、助かったひとはいない、だから死を受け入れて!ママのところに行くの、本当の大好きだったママのところに!”
“終わった~終わったの、辛かったね、きつかったね、頑張ったね、憎かったママ母!”
“上から光りが降ってきて、だれかいるね~だれかいるよね~”
(私にはフェアリーテールに出てくるような腰のところから羽がついてドレスを着た妖精のような存在が見えた。亡くなった彼女は小さい、ママと別れた2才の姿。妖精が彼女に目線を合わせるように腰を曲げてかがみ、愛おしむまなざしを向けている、その向こうには多分本当のママがいるようだ、まぶしくて姿は良く見えない)
彼女“終わった、きつかった、しょうがない!しょうがない!お母さんかわいそう!”
先生“疲れたね、休みたいよね~休みたいね~”参加者全員で横たわる彼女にエネルギーを送りました。一つの劇的で辛い、辛い人生が終わりました。

メッセージがおりた
この魂の2才で母を目の前で殺されるという人生を選択した勇気ある決断の深い意味は何だ?そこをとらないとこの者は癒されない。
2才という年齢は、人生のどの時点よりも最も母を求めるときだ。そういう意味で2才という年齢は特別であり、その時に母を目の前で殺されるという身を刃物で引き裂かれるような体験を自分に与えたということの意味をとらえよ。これほどの地獄があるだろうか。
この魂は非常に強く大きい!
先生“ということは自分に試練を与えた大きく強い魂の計画があると言うことですね、いったいどんな計画でしょうか”
私“血みどろの場面が見える、空が暗い、火山灰??”
先生“そうだね~血みどろ、ということは、狂気の沙汰、地獄絵図でも狂わないでいられる、正気でいられる、対応できるということですね、どんなことが起きるのですか”
“天変地異が起きる、新種のウイルスが発生するが、ウイルスを作り出すのには人間の意識も荷担しているので、いたちごっこで新たなものが生み出される。医療は無力で歯が立たない。人間の意識を変えないかぎり新たに発生する。人口はかなり減るだろう”

 一人の参加者の背中が痛くなりのけぞっている
“死にたくない、死にたくない、俺はいいけど、仲間が死ぬ!俺の整備不良だった、悪かった~俺が悪かった~”どうやら先の難破船の機関室で働く責任ある水夫のようだ。
先生“あなた一人で助けられるわけはない!それはあなたの傲慢さです!死を受け入れなさい!執着を残しているのはあなただけかもしれない、他の人たちはみな光の中に上がっていっている!残っているのはあなただけよ、それでもいいの!さあ、光の中に行きなさい!(ものすごいスピードで昇っていった)”

コンタクト
 非常に真摯に自分を律し、役割に徹して責任をとり、懸命に働いた人生だった。
整備不良で舟が朽ちて人々が死んだ責任を一人でとることは全く必要ない。
ただ、そういうことがあった、というだけだ。後悔は必要ない。

この後、参加者全員で宣言をしました
私:チャネリングで得た情報で健康や体に関する本を書きます
Yさん:人生を楽しむ
Aさん:自分らしく進化します
Uさん:枠を無くします
Kさん:楽しみます
Bさん:不食を心がけブリザリアンを目指します
Mさん:神業を信用します
Tさん:たくさんの宇宙空間に入ります
先生:やりたいことを思いっきり現実化していきます!よろしくお願いします!
みんな:ありがとうございました!!!合掌

追記:この4日後、薬害の裁判を傍聴しました。東京をたくさん歩いたので足がとても浮腫んだので、足に触っていたら一つの過去生を思い出しました。私は男性のジャーナリスト、足で歩いて一つ一つ真実を追っていき淡々と私情を交えず真実を伝えるのが自分の役割、と思って記事を書いていた。足という組織に過去の時空を超えた意識の残像があるのを再度実感し、つくづく人間は多次元空間に生きているのだ、と思いました。私達は時空を超えた存在なのです。
いったい何千年分だったのだろう?公開過去生セミナーは凄すぎる!!!!

ありがとうございました。

2010年7月17日~18日 長野県戸隠セミナー体験感想レポート
東京都在住 40歳女性

一泊二日のセミナーに参加した帰りの新幹線の中でのことです。もう、皆、すっかりセミナー終了モードで、飲み物とおつまみでくつろぎ始めた時、コンタクトがありました。

『荷物を手放し、もっと自由になりなさい。』

この先生のことばを聞いた途端、心臓がすごい勢いでドクンドクン鳴り始めました。
先生にも誰にも言わないで一人で取り組んで越えたいと思っていたことがあり、コンタクトはまさしくそのことだったからです。
いつ頃からかわかりませんが、自分の手荷物が手の届くところにないと、とても不安になり落ち着かなくなるのです。
この手荷物を手放せない自分をどうにかしたいと思っていました。
その時も、やっと決心して、リュックを網棚に上げたのですが、またすぐに自分の膝の上に戻してしまって……
セミナー中も、宿に荷物を置いて出掛ける時、お風呂に行く時、食堂に行く時等々…自分なりのチャレンジをしていました…
が、結局、手放せず、(手放せても荷物のことが気になってしかたがない…)
最後の挑戦〈リュックを網棚に上げる〉も果たせずに終わった直後のコンタクトでした。

新幹線の中で、過去世ワークとなりました。
私が荷物を手放せずに抱え込むのは、古代都市ポンペイで小さな子供を抱いたまま火山灰に埋もれて死んだ母親、という過去世があったからでした。

顔をグシャグシャにして泣きながら、過去世の子供を手放し、膝の上のリュックを手放しました。

この後から、荷物を気軽に置けるようになりました。
荷物がないということは、こんなに身軽で、こんなに楽なんだ、と今までにない感覚です!

そして、
誰にも内緒で、一人でこっそりとやっていることも、上からは全てお見通しなのですね…
改めて、大いなる存在の偉大さを感じました。

神々様、いつもありがとうございます。
踏江先生、周りの方々、いつもありがとうございます。
感謝しております。
2010年8月31日記より
千葉県市川市在住 60歳女性
『明日から新たな軌道に乗ります』

 今日は59歳最後の日で「60年かかって宇宙の軌道をひとまわりしたか!」という感じ。
踏江さんに御縁ができてから、自分は何者かさぐり続けています。
お世話になるきっかけとなった事件はまだ進行中で、不安を抱えているのが事実ですが、何でその原因を自分で作ってしまったかと探るより、現在の状態を私がどう味わうかという心情になれました。
 個人セッション、セミナー、郊外セミナーで見せられる、神業としか言えないタイミングで気付かされる勘違い、洗脳からの解放、思い癖、こだわり、おごりに、時には我ながらおぞましさにぞっとしたり、または、一瞬に重圧がとれることに感動していました。
「禍福はあざなえる縄のごとく」という言葉は知っていましたが、最近まで幸福を求めるには、不幸も受け入れ、耐えなければいけないと解釈していました。
いまは、両方ともが神業で、私は宇宙に愛されていると感じています。

2010年8月21日のセミナーで「私は神業を信じます!」と宣言しました。
それは、過去でも未来でもない瞬間(いま)の自分を現すこと。
 無尽蔵の知らない自分が、もぐら叩きのように次々と出てきますが、どの瞬間も勘違いや執着にじたばたしている私、又は、大いなる私も飽きるまで味わう粒子でいます。
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